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1993年米騒動とタイ米

なぜ米不足になったのか

お米の輸入禁止を貫いていた日本が輸入を解禁することとなったきっかけともいわれるのが1993年に起こった米騒動ですが、そもそも事の発端となったのはその年に起こった天候異常が原因でした。

この年、梅雨前線が長期間日本列島に留まり記録的な冷夏を引き起こしたばかりか、相次ぐ台風の襲来が原因で大凶作を引き起こし、お米の収穫量は散々たる結果となりました。

お米の収穫を量る作況指数も著しく不良とされる90を大きく下回る74を記録し、各地で米の収穫量が平年の消費量を下回り、国産米だけで消費を賄うことが不可能な状況となりました。

また、この米騒動は政府が行った減反政策も少なからず影響したといえるでしょう。日本は戦後の深刻な食糧不足解消を回避するために食糧管理法が制定され、お米の増産が行われましたが、1960年代以降は食生活の変化による米離れによって大量のお米が余るようになりました。

政府はこれを解消するためにお米を作る田んぼを減らす減反政策を長年に渡って実施したのですが、この減反政策がこの米不足ではかえってアダとなってしまいました。

結果的に、国産によるお米の調整は不可能だという判断が下され、戦後から長年続いた食品管理法は廃止になりました。そして、禁止していた米輸入を解禁し、米の輸入へと舵をきりました。

米騒動とタイ米

当時の日本はお米の輸入を禁じている状況の上、十分な備蓄米もなかったことから、深刻な米不足が大々的に報じられました。
すると、国内の米市場には深刻な不安感が蔓延することとなり、卸売り業者と消費者が売り惜しみや、買いだめに奔走しました。そのため市場は深刻な供給不足を引き起こしました。
これが世にいう「1993年(平成)の米騒動」です。

この事態を受けて、政府は米不足の解消を図るため、禁止していた米輸入の開始を決断し、タイ、中国、アメリカから輸入をしました。

当初、政府は日本米と同じジャポニカ種(短粒種)の米である中国米とアメリカ米を主食用に流通させ、インディア種(長粒種)のタイ米を米原料の加工食品用に流通させる予定でいました。しかし、緊急な輸入のためタイ米以外は十分な量を確保できず、結果的にタイ米も主食用に流通せざるを得ない状況となりました。
しかし、そもそも種類が異なるタイ米は日本人の嗜好や国内の炊飯器での調理方に適用せず、需要の回復に繋がりませんでした。そのため、折角輸入したタイ米も余りはじめました。そこで、苦肉の策として、種類が異なるタイ米を国内米、中国米、アメリカ米を混ぜたブレンド米として販売しました。しかし、このブレンド米はご飯に生米が混ざったような食感となり、日本国民には不評でした。

その後、マスメディアを通じてタイ米の美味しい食べ方が紹介されたり、家電メーカーからタイ米の炊飯に適した炊飯器の開発などが行なわれましたが需要の回復に繋がらず、結局翌年の米の作柄の回復によって事態が収拾しました。

米不足の混乱は収まりましたが、このときの大量の米輸入こそが、米の輸入を禁止していた日本市場の開放へと向かう付箋となりました。

タイ米と日本人

タイ米は海外輸出量が多いお米として知られており、世界一の米の輸出量を記録することから世界中の人たちの間で食されているお米ともいえます。
しかし、日本においてはそのタイ米の人気は決して高いとはいえず、敬遠する人も少なくありません。この差は主に、米の種類と嗜好の違いが起因しています。

日本米に代表されるジャポニカ種(短粒種)の米は粘り気が強く、モチモチした食感が特徴のお米です。
一方、タイ米のようにインディア種(長粒種)の米は粘り気が少なく、おにぎりのように団子状にすることもできません。全体的に水分量も少なくサラサラした食感と、香りが強いのが特徴のお米です。

また、種類が異なれば、当然調理の仕方も異なります。
両者を比較すると、日本米は先ず、お米を研ぎます。これは米糠などの匂いをとり、なるべくご飯から匂いがしないようにするために行います。
炊き方も日本米は「赤子泣いても(釜の)ふたとるな」という格言に代表されるように、米になるべく多くの水分が吸い込むように炊きます。

対して、タイ米は洗米はせずに鍋で茹で、途中で湯切りもしてパスタのように適度な歯ごたえと風味が残るように炊きます。

このような違いにより、日本人がタイ米のお米を食べると「パサパサして、独特の匂いがするお米」、タイ人が日本米を食べると「ベタベタして、風味もないお米」という感じることが多いです。

世界各国の食べ物に特色があるように、その地で生産される食材はその地の調理法にあったものがあります。
このことを理解し、正しく調理すればより豊かな食文化を楽しむことができます。

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